ええと、これは以前に東京謎ねっと23という草の根のボードに私が書いた感想文です。基本的にそのままのかたちでおいてあります(ただし、アペンド(他の人のメッセージ)は削りました)。画像データがないところは、作成中です。
(小説・文学なのは、エンタテイメントの小説とか対談集とかもあるからです)
96/11/13 23:32:20 れいど 『ポケット・フェティッシュ』『優しい去勢のために』 地元の図書館についに行って本を何冊か借りた、うちの松浦理英子二作である。 ともにエッセイ。 私の個人的な松浦理英子に対する感情は、「面白い」と「同感」が入り交じって いるようなもので「興味深い」が一番近かろうというもの。 以前から顔と名前は知っていたのだけれど、「親指P」の妙な売れ方に反発して 小説作品を読もうとしなかったのが悔やまれる(買ってさえもいないとは!)。笙 野頼子との対談でずいぶん興味をそそられたので、作品を読もうと思えど本屋には あれほどあふれていた「P」でさえなく、古本屋に行けば擦り切れた「P」のハー ドカバーが莫迦高い値段で棚に鎮座ましましているといった具合。図書館でようや く探し出したのがエッセイというのも本道にはずれる気もするが…… ともあれ。 『ポケット・フェティッシュ』、 (白水社・1200円・ISBN4-560-04294-2 C0095)。 ――表紙に大きく松浦理英子氏のアップが使われていることからもわかるように、 基本的にファン・ブックである。最初の一冊には薦められない本だろう、と最初の 一冊として読んでしまったあとで思った。まあ個人的には、松浦理英子の言う「性 器的」の意味と幾分親密になれただけでも良しとする。(性器)集約的かつ抑圧的 なセクシャリティの表現や、(松浦理英子の言う、P感覚に基づいた)ヒエラル キーを固定化させようというような単純な志向のエロティシズムには辟易していた し、それだけに救われるものもあった……あるいは、開眼させられるものがあった というべきかもしれない。これは『優しい去勢のために』もそうだが、かように脱 〈性器性行的志向〉を明快に打ち出した文章は読んでいないからだ。もっと早くに 出会っていれば、現在の私も幾分か救われたかもしれないが…… 個人的情況についてはいいとして、『ポケット』所収の文は松浦理英子「上級 者」むけではある。だろう。 『優しい去勢のために』… (筑摩書房・1700円・ISBN4-480-81348-9 C0095)。 内容の密度から言っても、こちらを推したい。「I時代」「II印象」「III文学」 「IV優しい去勢のために」「V性愛」と、五章に大きくテーマ別に分けられている のだが、このうち「I時代」「V性愛」に面白い文の含有度が高い。「時代」には 時評じみたエッセイが多く具体的で読みやすいし、「性愛」は松浦理英子のテーマ でもあるのだろう、深い考察が散見されてよい(もちろん、すべてが良い、という わけではない。女性の(あるいは女性器からの)解放やフェミニズムに関しての論 考は、肉体的事実という説得力を措けば、所詮橋本治には及んでいないし)。 とはいえもっとも注目すべきなのは、紙の色からしてコーディネイト済みの「優 しい去勢のために」という一連の、エッセイとも小説ともつかない作品群であるだ ろう。「セックス・ギャング・チャイルドの歌」にある一節、「つまるところ脱ぎ 捨てるべき〈性器〉とは、常に他性の性器を意識し、行為中でなくとも想像上の他 性器を身にまとった、それ自体が架空のものと言っていい性器である。/〈架空の 性器〉を始末するのに痛みを感ずるわけはない。//この去勢は優しく行なわれ る。」、ここだけを抜粋するとえらくポリティックに見えてぎょっとするが、「あ なた」と「わたし」の関係性において発話される限りでは、それはあくまでも優し く、溜息が出るほどスマートだ。 IV章のために一冊買っても惜しくはない。 と感じる。 れいど
96/11/26 01:03:28 れいど 『ウンベルト・エーコの文体練習』の話 『ウンベルト・エーコの文体練習』 ウンベルト・エーコ 和田忠彦・訳 新潮社 ISBN4-10-525701-3 C0097 P1800E 笑える一冊である。 まあ、イタリアと日本との文化的差異が結構あるから、脊髄では笑えない部分が 大きいのが残念だけど、面白い。たとえば「ポー川流域における工業と性的抑圧」 は、読み進めながら「ああ、これはレヴィ=ストロースか」と思っていたら、やっ ぱりそうだった(っていうかそれしかないよな)んだけれども、でも、日本向けに やるならやはり「ミラノ中心部略図」は「山の手線沿線図」になるだろうし、日本 人はそれでないと笑えないだろうなあ(「ルドヴィコ門の逆説」は、やっぱり「皇 居の逆説」か)。 「変則書評」でのイタリア銀行『五〇〇〇〇リラ紙幣』『一〇〇〇〇〇リラ紙幣』 の書評はパロディネタとしては秀逸だった。(「しかしながら、好事家にとって珍 本としてのあらゆる特徴を備えているわりには、部数が相当多い。その一方で、出 版社が廉価版にはしないという方針をとったため、価格は誰もが簡単に入手しえな い金額に設定されている。」(笑)) 「涙ながらの却下」は、出版する本を選定するエージェントが、出版社にこの本の 出版は勧めないという涙ながらのレポートを送ったという形のパロディだが、一発 目に「作者不詳『聖書』」というのが笑える。一番最後にジョイスの『フィネガン ズ・ウェイク』を却下している理由がまた笑える。 「帝国の地図」は、近作だけあって(なのか)この本の他作品のどれよりも秀逸で ある。縮尺1/1の「正確な」帝国の地図はどのように実現されうるのかという論 証が、立派に笑いの取れるエンターテイメントになっているのが莫迦らしくてよい (笑)。清水義範のパスティーシュも、まあまあいい線をいってはいるが、やっぱ り本職の記号論学者が書くと深さが違う。 (清水義範が(まあ、面白いけど)しょせん二流でしかないのは、パスティーシュ /パロディの末端、飽和点近くになると「口ごもりの技法」とでもいうべき決定不 可能性の中に逃げ込みがちだというところだ) (いや、もちろん「あそこでやめておいたから」あれだけ売れてるとも言えるが) (というのは余談でした。どうも) 何故今になってこれを読んでいるのかは秘密/れいど 余談。 「フランティ礼賛」を忘れるところだった。まったくもってフランティ礼賛、フラ ンティ万歳である。「息子への手紙」もいいね。……なんだ、けっこういい短編集 になってるじゃないか。噛めば噛むほど……って奴かね。
96/11/27 01:14:30 れいど 『忘れられた帝国』の話 『忘れられた帝国』 島田雅彦・毎日新聞社・ISBN4-620-10537-6 C0093 P1400E 95年の10月だから、約一年前に発行されたものである。データベースを見ると、 本屋に並んでから即座に買っているが……まあ、私が本を購入してから読了し終わ るペースとして13ヶ月は早い方だ。 毎日新聞社から出てることからもわかるように、以前、島田雅彦が毎日新聞に新 聞小説として連載したものである。 「一八で死んだ少年が語る郊外=帝国の可笑しくも哀しい物語」とオビにある。端 的にこの本の内容を表している。 新聞小説だからだろうが、物語は淡々と連鎖していく。一冊が丸ごとひとつの大 ストーリィを描く、というような物語ではない。断片的に、間隙に存在するという (仮想の?)「帝国」にまつわる談話が描かれていく。その中に統一したものとし てあるのは、「帝国はあらゆる『あいだ』にある」という視点だ。「帝国」が間隙 にあるというイメージは仲々に面白く興味深い。 帝国に至る道は、積極的な逃走、岐路があったら真ん中を突っ切るという選択、 トラウマがトラとウマに別れて走り出す(すでに古典)、そういったところにある。 (「永遠の青二才」が語る内容として然るべきものだといえる) ベッドタウン/郊外/新興住宅地が「帝国」たりうるのは、そこが本来「どこで もない場所」だからだ。そこは都市でもなく田舎でもない。……島田雅彦が「永遠 の青二才」という決定不可能性を前面に打ち出して創作しているのに親近感を覚え るのは、私と彼の生まれが類似しているからかもしれない。もちろん、「郊外」に 生育した人間、「帝国」に片足を踏み入れている人間は掃いて捨てるほどいるわけ だが。 まあ、「帝国」の臭いを嗅ぎ取ろうとして読むより、素直に変形済みの島田雅彦 の自伝として読む方が面白いかもしれない。そう読んだって充分面白いし、もちろ ん読み方なんてどんなテクストにも無限にあるようなもんだ。 お薦めかどうかはわからないが、面白いし、興味深いと思いましたね。 (やや真似) れいど
96/11/27 01:14:38 れいど 『カム・ホーム』の話 『カム・ホーム』 増田みず子 福武書店 ISBN4-8288-2366-2 C0093 P1300E 増田みず子の作品としては初めて読んだもの。 それほど期待はしていなかったがつまらなくもない、まあ在来の「文学」の延長 線上に容易に想像できる作品、ではあった。 内容……雑誌(「海燕」)連載当時の名残だと思われるが、場当たり的に書かれ た雰囲気が強い。登場人物の唐突な出現は脈絡がないものが多いし、繰り返しの多 さにはいささか辟易させられた。――まあ、雑誌という発表形態に最適化したんだ とも言えないわけではないが、章がかわるごとに「これまでのあらすじ」をそれと なく(と気付かせる時点で「それとなく」ないんだが)読ませられるのはウンザリ する。下手ではないから、不快ではないけどね。 母娘の関係を描き出すのには、まあ、成功しているといっていい。大局的にみれ ばそれは「家」というものの性質をあぶり出すのに成功したというようなことだ。 各世代に一人ずつ、外部からの「女」が入ってきて、その「女」が「家」を実質的 に支配する。家を支配する女は男子と女子を生み、娘は嫁に出す、という形で息子 が家督を継ぐ妨げにならないよう家を追い出され、息子は嫁を取り、母となった 「女」から「家」を継承する。単純化すればそういう図式になる。トホホなくらい 古いけどね。それがもう「終わってしまったこと」になっているのは橋本治の「ぼ くらの資本論」を読めば分かる――と書いておこう。それが終わったあとの何もの か、現在の「家」を考えるんなら吉本ばななの方が百倍エキセントリックだし「正 しい」(同じ福武書店(現ベネッセ)で本も出していることだしね)ように思える。 (そりゃ、ばななはちっとばかし叙情的に過ぎるところも――いや、ちょっとどこ ろじゃなく「かなり」あるかもしれんけど) ちょっと視点を変えて――主人公ユリの姉、泉という存在からユリの「家」を考 えてみる。ユリは、家庭における泉の欠落(喪失。失踪。家出。どれでも)を埋め 合わせるために、母親登志子と同一化、すくなくともうわべだけの、しかしうわべ だけは完全な同一化を目指す。それは祖母のサヨとの旅行で客体化され、6章の 「卒業」で恋愛(=家庭からの離脱)の予感と母親の「子離れ」で疑問視されるま でにいたる(「いつか、家からも登志子からも平気な顔をして離れていくのかもし れない。その相手が能勢ということはないだろうけれども。/何が起きるかわから ないし、自分がいつころりと変わってしまうか、それさえわかりはしないのだか ら。」p200)。ユリにとっての確定した「家族」像は、祖母サヨとの旅で揺さぶり をかけられ、サヨの死でひびが入り、能勢の見せた好意(?)で破壊される。だが、 終章において泉が、ユリのイメージからはかけ離れた姿であらわれると、彼女は拒 絶反応を起こしてしまう。ユリは寝込んだままついに帰還した姉と話をせず、二日 後に「偽物のような泉」は彼女のあるべき場所へ戻っていく。ユリと泉、登志子と 泉、父親と泉の関係は「うやむやのまま」に終わってしまう。 このうやむやさ加減は安易な象徴化を拒むかのようだ……しかし、全編に通底す る「うやむやさ」が「リアル」だとも言える。まあ、現実の決定不可能性を描いた って意味では秀作なんだろうけどさ。 うーん。どうも批評しずらい理由は、たぶんそこらへんだ。実際にも家族の関係 性は「うやむや」な好意、絶対的に否定すると生活が成り立たなくなるための消極 的肯定、嫌いではなくとも好きかと問われると詰まる、そういったものが基盤にな ることが多い。 でも、そういうものをただ提示しただけの文学にはあんまり興味が湧かないんだ よなあ、ってことかな。個人的には興味がないわけではない内容ではあるけれど (だから、ある程度は面白く読めた)、「ふうん」で終わるようじゃなあ。 まあ、あんまりお薦めはしません/れいど
97/01/09 00:12:32 れいど 『嵐が丘』の話 『嵐が丘』グラスハート4 若木未生・講談社コバルト文庫 ISBN4-08-614272-4 C0193 P510E 前にもこのシリーズについては書いたことがある気がする。若木未央は、このシ リーズしか読んでいないけども、しかしともかく文章がうまい。ある意味、尋常 じゃないうまさだといっていいと思う。こと、西条朱音の一人称文体のこの文章は すごい。でもコバルト文体っていうのは確かにあって、それをむちゃくちゃ洗練し て……ちがうな。なんて真摯な文なんだってことかもしれない。技術でこれは書け ないとも思うけどやっぱりそれでもすごい技術であるってのは確かで。 リズム感、あるというか。メタ的なところのつながりの表現のつらなりががしっ と決まっていて。感覚的にスゴイと思える。ある意味でこの人の文は実に実に「普 通」の文なんだけど、それは表層的な部分ではそうでだけどしかし、言葉の瞬間の 喚起力・瞬発力、映像的という意味ではなくって心理的なそれ、すごいある。だか らがしっとかびしっとか感覚言語でしか言えないけど、これはやっぱりすごいよ。 音楽みたいなもんかもしれないけど。 そういう支離滅裂な一貫性の空気感がすごくあって。表層では掻き乱されるんだ けど、その掻き乱される方向性、物質感っていうのが見えるよっていう。 文体。 内容。面白い。でも、それってすなわち文体みたいなもんだから。 この小説に限れば。 もう「なんでこのシリーズで芥川取れないかなぁぁぁぁぁっ!!」ていうくらい。 オレ的にいって文学ってこういうもんス。 賛同者募集中/いや、マジで/れいど
97/01/09 00:12:40 れいど 『ラブレター』の話 『ラブレター』 姫野カオルコ・光文社・ISBN4-334-92265-1 C0093 P1700E 全編、手紙形式での小説です。 「第一章 制服」「第二章 ルーズリーフ」「第三章 ネクタイ」「第四章 指 輪」……の四章からなる小説……書簡集。高校から、30代前半まで。 視点と文体の移り変わりがとか、字体と内容の関連がとか、いろいろ分析的にい えばいくらだって言える、そういう意味でもおいしい素材だと思うけど、何よりも この小説、すごく「痛い」作品だったです。 「Bバージン」のきつさにも、ちょっとだけど似ている。 高校からの精神的な成長の様子と、間接的にしか見えない事件が、その間接的な 分だけ、自分の想像力にからみついてきて、痛いです。自分の体験とか。 痛いけどでも、面白かった。 A+/れいど