GEKKA REVIEW 2002
 
虫の味    篠永哲・林晃史
八坂書房
ISBN 4-89694-689-8
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 虫の専門家2名が、タイトルの通り、「虫」を食べてその味わいをエッセイ風につづったもので、『薬局』という雑誌に連載されたもの。著者たちの本業は殺虫剤の研究や防虫学だというけど、いやー、これはなんというか、この人たちはなんだかんだと虫を食うのが好きなんだとおもいます。
 読んでいると、あまりにも淡々と「まあまあうまかった」とか「ビールのつまみになる」とか書いてあるので、「ああ、食えるんだなあ」と感じてきてしまうところが怖い。ゴキブリの卵のゴキブリ酒とかハエの子(というか蛆)の天ぷらとか、まあ、毒や悪臭があるものはさておき、タンパク質なんだから、べつに食って食えないことはないだろうけど。ねえ。これはやっぱり好きでなきゃできません。

 傑作なのはアメリカシロヒトリの幼虫を食べた回の稿で、


 黒光りのする、幼虫からは思いもつかぬきれいな蛹で、すっかり食欲がわいてきた。なんといっても、『昆虫本草』にも記載がなく、また、『現職和漢薬図鑑』にも載っていない、だれもが試食していない虫だと思うと、うれしくてたまらない
 早速、「から揚げ」にしていただくことにした。私のいきつけの「赤提灯」の女将に頼んで料理をしてもらった。沸えたげきる油に投入すると、パリパリと乾いた音がし、プーンと香ばしいにおいがして来た。
 からりと揚がった蛹を四、五匹ずつ小皿に盛ると、なんともみごとな酒のつまみ。照り工合、色調、香気、いずれも満足すべきものだが、なんといっても「初物」のこと、恐る恐る口の中に入れる、味はまさに絶品であった。
(p192)」

 ……えーと。
 まあ、漢方薬の本には載っとらんだろうけど。北米産だし。
 でもそういう話ではない気も。


 ともあれ、とても面白い本でした。世界は広い。
2002.6.4.
grade [ B+ ]

 
段ボールハウスガール    萱野葵
4-10-430901-X
ISBN 4-10-430901-X
[bk1] [amazon]


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「新潮新人文学賞受賞の新鋭女流作家」(早口言葉か)が放つ「ビンボー小説」2編、ということで、書き下ろしの二作品を収録。

『段ボールハウスガール』

 泥棒に入られ、OL時代にせっせと貯めてきた虎の子の200万円を盗まれ、自暴自棄気味に路上生活者になった杏(あん)の、最低気味の生活を淡々と描いた表題作。
 家庭教師先の女の子との心の交流が切ない一瞬もあるけど、基本路線は「なんなんだ、この女」に終始します。これは世の中に悪態をつくタイプの小説で、しかし、それだけで、どこにもたどり着けていない気がする。踏ん切りが悪い。それでもチャーミングさがあれば島田雅彦に成れたかもしれないが、これはどうにも色気がない。切実な気配はあるんだけどさ。


『ダイナマイト・ビンボー』

 暴力的な姉と無気力な弟が、仕事を辞め(またか!)、精神病と偽って生活保護を受け、やがてそれが打ち切られて、警察官試験に応募するまでの物語。で、『段ボールハウスガール』より数段はビビッドで面白い。姉と弟というコントラストがいいし、ここには何かしらの「覚悟」があるのがいいね。男らしくて(女だけど)。
 個人的にはこっちが断然好きだし、客観的にも佳品だと思う。

 どちらも書き下ろしというこの二作品は、またどちらも「ビンボー」にまつわる物語ではあるんだけれども、『段ボールハウスガール』にはすごくマイナスの雰囲気を感じて、一方では『ダイナマイト・ビンボー』には(人間としてはマイナスの部分もそうとうありますが)プラスの雰囲気を感じるのはどうしてなんだろう。『段ボールハウスガール』に思う「踏ん切りの悪さ」ってのは、じつは卑近なリアリティで、近いがゆえに正視しずらかったんだろうか(ありえない話でもないけれども)。逆に『ダイナマイト・ビンボー』は、物語として受容しやすいぐらいにフィクショナルだったから痛快、とかね。まあ、人間が単純なんで、そういう気もします。


 個人的には、この路線で行きつつも、もう少し物語に振幅があるほうが好みではありますが、それなりに注目しておいていい作家かと思います。
2002.6.5.
grade [ B ]

 
ハッピータイガー    小林源文
世界文化社
ISBN 4-418-02508-1
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 著者が二十年以上前にミリタリーショップの店員から聞いたという逸話をもとにした物語。その逸話というのが、満州の関東軍、地図測量部に配属されていたのが、深入りしすぎて国境を越え、戻れなくなって西へ西へと歩いて、ドイツ東部軍に入って終戦を迎えたというもの。実際にそういう出来事があったのかどうかは、今となっては確かめる術はほぼないけれど、「もし…」と考えてみると、心踊るものがあるのは確か。
「ハッピータイガー」では、主人公の川島少尉は、ノモンハンでロシア軍に破れ、傷を負ったところをモンゴル人に救出される(周知のとおり、モンゴル人と日本人の顔だちは非常に似ている)。そのまま彼はモンゴル人としてロシア軍に徴兵され、モスクワで前線に立たされることになる。そこでドイツ軍の戦車兵の命をひょんなことで救い、その後、敗走・捕虜として処刑されるところを、「命の恩人」として救出され、ドイツ軍でティーガーに乗ることになる……

 最後のオチも含めて、名品だと思います。好きだなあ。
2002.6.3.
grade [ A- ]

 
「ならず者国家」と新たな戦争    ノーム・チョムスキー
荒竹出版
ISBN 4-87043-152-1
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生成文法論で超有名な言語学者チョムスキーの手によ一冊。「ならず者国家」、「テロの実行主体となる国家」とはどんなものか、またその報道がいかに正確になされてきていないかについて語った論文三編に、「9月11日」後に行われた講演会の内容を収録したもの。
簡単に言えば、「ならず者国家」という形容が、その権益を保護発展させるために、国際法上のルールを無視して他国に武力的侵攻を行い、また支援する国家を指すのであれば、イラクやリビア以上に、米国について当てはまるのではないか、ということ。
チョムスキーの論旨は明快で、またおそらく多くの日本人にとって明快でなかった事実が指摘されている。
重複が多くなるかもしれないが引用します。

 その他の暴力的手段と同じように、テロは基本的に強者の武器です。実際、圧倒的にそうなのです。テロが弱者の武器だというのは、強者は教義(政治の原則)をもコントロールしていて、自分のテロをテロとして数えないからです。歴史的に例外なくそうで、最悪の大量殺人犯でもそういう世界の見方をします。
 例としてナチを取り上げてみましょう。彼らは占領したヨーロッパでテロはしませんでした。彼らは、パルチザンのテロから地元の人々を守っていたのです。他の抵抗運動と同じく、テロ行為がありました。そして、ナチはテロ対策を行ったのです。
(p18-19)」


 我々は確かにテロの脅威を減らしたいと思っています。それには簡単な方法があります。しかし、だからこそ決して議論されません。つまり、それに加わるのを止めることです。そうすれば自動的に、テロの脅威を大幅に減らすことができるでしょう。しかし、これは議論することができないのです。そうです、それが議論できるようにしなくてはなりません。

(p59)」


 現在に関連のある例をもう一つ挙げてみましょう。1975年にインドネシアが東チモールに侵攻したとき、国連安全保障理事会が即時撤退を命令しましたが無駄でした。当時の米国連大使、ダニエル・パトリック・モニハンが1978年の回想録で、その理由を次のように説明しています。

 事態は実際に米国の期待通りに展開したのだが、米国はその実現に努めた。国務省は、国連がいかなる措置を講じようとも、まったく無効であることが立証されるのを望んだ。この任務が私に与えられ、私はこれを遂行し、少なからぬ成功を収めた。
 彼はさらに、2ヶ月以内に約6万人が殺害されたと報告しています。米国の軍事支援の増大に加えて、1978年に残虐行為がピークに達した時点では英国も参加したお陰でこの数は数年間のうちに20万人に達しました。信頼できるキリスト教会筋によると、両国の支援は1999年まで続き、米国の支援で武装し訓練を施されたコパスス特殊部隊が、同年1月から「掃討作戦」を開始しました。そして、8月までに3千人から5千人を殺害、その後75万人(人口の85%)を追放し、実質的に東チモールを壊滅させたのです。クリントン政権は、「それはインドネシア政府の責任であり、我々はその責任を彼らから取り上げるつもりはない」という立場を守り通しました。しかし、国内および国外(主にオーストラリア)からの圧力が強まってくると、米政府はついにゲームの終わりをインドネシア軍の将校たちに示唆しました。すると彼らはすばやく方向展開し撤退を発表しました。これは常に利用できる隠れた力があったことを示しています。
(p84-85)」


 国連が植民地独立の動きを抑えきれなくなって以来、国連を「完全に無効」にすることが、米国のお決まりの手順となりました。それを示す一つの指標が、安全保障理事会で扱われる広範な問題に関する拒否権の発動です。つまり、1960年代以降、この点で米国は突出しており、第二番目が英国、フランスは遠く離れて第三番目です。国連総会での投票についても同様です。一般的な原則は、米国の政策を左右している米国の権益に役立たないならば、国際機関の存続理由はほとんどないというものです。

(p86-87)」


 大規模な侵略とテロ活動に比べたら、米政府以外の人が犯した場合には重大な犯罪となるような行為も、単なる付け足し程度でしかありません。例えば、「国際的テロリズム」に対する激情がピークに達した1985年に、80人のレバノン人を殺害した最悪の残虐行為がありましたが、これはCIAが扇動して、モスレム指導者を狙った車両爆破事件でした。あるいは、1998年に貧しいアフリカの国(スーダン)では、医療品の半分もが破壊されましたが、死者の数は知られていないし、調査も行われていません。米政府が国連の調査を阻止したからです。爆撃は合法的で、米国には「テロリストが米国を標的として攻撃の準備をしている(多分そうではなかったのですが)工場や訓練基地に対して、軍事力を行使する権利がある」というのがその理由だと、ニューヨーク・タイムズ紙の編集者が説明していました。仮に、例えばイスラムのテロリストがアメリカやイスラエルなどの友好国で医薬品の半分を破壊したら、反応はおそらく違っていたでしょう。

(p99-100)」


 国際平和に対する脅威がたくさん存在しますが、これに対処すべき合法的な方法があります。つまり、イラクの近隣諸国が脅威を感じた場合には、適切な対抗措置を講じることを承認するよう安全保障理事会に求めることができます。米英が脅威を感じた場合にも同じことができます。そして、こうした問題に対して独自に決定を下し行動をとる権限はいかなる国にもありません。仮に彼らの手が汚れていないとしても(ほとんどあり得ないことですが)、米英にもそのような権限はありません。
 しかし、無法国家はこのような条件を受け入れません。例えば、サダムのイラクがそうであり、米国がそうです。イラクとの衝突の初期に、後に米国務長官で当時の国連大使、マデリーン・オルブライトは、安全保障理事会の場で米国の立場を率直に述べています。すなわち、米国は「できるだけ多国間の枠組みで、しかし必要なときには単独で」行動する。何故なら「この地域は米国の国益を左右するからで」、したがって外部からのいかなる束縛も受けないと言ったのです。

(p105)」


 この、情報公開法によって開示された「ポスト冷戦期抑止の要点」と題する報告書には、「米国が抑止戦略を機能不全に陥ったソ連からイラク、リビア、キューバ、北朝鮮などのいわゆるならず者国家に移行させたことが示されている」と、AP通信が伝えています。そして、「重大な権益が攻撃された場合には米国は理性を逸脱し報復する」という印象を与えるために、核兵器を利用すべきであり、またそれを「米国の国家像の一部として、すべての敵に明示すべきで」、「ならず者国家」に対しては特にそうだと主張しています。「我々があまりにも理性的で冷静だという印象を与えると害になる」のであり、国際法および国際条約義務のような馬鹿げたことにコミットするなどは言うに及ばないというわけです。米政府の「いくつかの機能」が「“制御不全”となり得ると映ることが、敵の意思決定者の気持ちに恐怖と疑いを生み、それを増幅するのに役立ち得る」のです。

(p119)」


 サダムのクウェート侵攻直後に開催された幹部会議で、ブッシュ大統領は、「サウジについて心配なのは、彼らが最後の段階で逃げ出してしまい、クウェートの傀儡政権を認めることだ」と、根本的な問題を明確に述べています。統合参謀本部議長のコーリン・パウエルも、「傀儡を中に」入れて、「数日のうちにイラクは撤退し」、「アラブ世界の誰もがハッピーになるだろう」と、鋭く問題を提起しています。
 もちろん、歴史上の出来事の対比は決して性格ではありません。米政府がパナマに傀儡を入れたあと一部撤退した際、パナマも含めてラテンアメリカ中の(実に、ほぼ世界中の)人々が激怒しました。米政府はそのために、米政府の「国際法および国家の独立と主権と領土の保全に対する目に余る侵害」を非難し、「アメリカの武装侵攻兵力のパナマからの」撤退を要求する、安全保障理事会の二つの決議に拒否権を発動し、総会決議に反対するはめとなりました。イラクのクウェート侵攻に対する扱いはそれと違い、標準からかけ離れたものだったことが、入手できる文書から容易にわかります。

(p122-123)」
引用してきて「世界の超大国であるアメリカの現状」に鬱々としてくるくらいです。米国の政治行動は、知性と理性に対する確信的な冒涜で、「ならず者国家」「テロ国家」と呼ぶに相応しい。

これを読む我々には多少の救いかもしれない、日本が(少なくとも、直接的には)「ならず者国家」ではないという事実は、アメリカのソヴェート・中国に対する「緩衝地帯」として非武装化されてきたからでもあるけれども、結果的に「牙抜き」「外交オンチ」になっていたから、つまりこれはチョムスキーの主張するところによる「テロの脅威を減らしたいのであれば、テロを行うべきではない」に適合していたからではないかと思える。
……してみると、日本の軍隊を「自衛隊」と称して活動範囲を偏執狂的に制限していることにも、意義はあったのかもしれない。ふむん。

とまれ、現在に読まれるべき本であるのは確か。
「9月11日」からそろそろ5カ月が過ぎ、米軍の作戦行動もほぼ終了し、各論だけが取り上げられがちな今、「ならず者国家」と米国が指弾する存在が、どのような行動原理で動いているのかを理解するための重要な指標になる一冊。読んでおいていいはず。
2002.2.8.
grade [ A- ]

 
トリガー 上・下    アーサー・C・クラーク&M・P・キュービー=マクダウエル
早川書房
ISBN 4-15-011383-1
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ISBN 4-15-011384-X
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 我ながら、久しぶりにSFらしいSFを読んだ気がする。それも、強烈な「アメリカSF」だ。アメリカという新興国家で、進取と信念と濃密な物語によって語られる(こういう読み口の)SFが支持、発展されてきたのは、すごくよくわかる気がする。

 近未来、ノーベル賞受賞者の老科学者カール・ブロヒヤが、革新的な信念を持った大資本家アーロン・ゴールドスタインの支持を得て設立した《テラバイト複合研究所》。そこにブロヒヤたっての依頼で迎え入れられた、若き量子力学の研究者ジェフリー・ホートン。ホートンが重力量子検出のための実験機を作動させたところ、予測だにしない結果に見舞われることになる。それは、「射程範囲」にあるすべての火薬を瞬時に発火させることができるのだ……。こうして、ホートンと《テラバイト》の一員は、「トリガー」と名付けられた装置とともに、銃国家アメリカの政治的な渦の中に投げ込まれていくことになる。

 ……という話。ワンアイディア・ストーリーではあるけれど、これを「おとぎばなし」ではなくて、上下巻の分量にわたる濃密な物語として成立させているのは、これが非常に政治的・軍事的な思考実験でもある、という部分だ。「トリガー」で銃のない安全な社会を作ろうとする政治家、銃の所持を認めた米国憲法修正2条をたてに「トリガー」が市民の自衛能力を奪っていると主張する全米ライフル協会らの市民団体、アメリカの軍事的立場を強化するために「トリガー」を利用したがる軍部、「トリガー」はあくまでも平和のために使われるべきだと主張する科学者、等々。
 彼らが、様々な立場と思想で物語を作っていくところが非常にスリリングで面白い(し、いちばん引きつけられる)。最終的には「人類の理性と知性(そして科学)は、恐怖や支配欲といった感情を克服できる」という楽天的かつアメリカンオールドSF的なテーゼへの収束を目指すところも素敵です。いや、ホントに素敵だと思うよ。皮肉じゃなくて、私が子供の頃に読み、信じていた「SF」というのは、人類が人類の理性によって、現在より希望のある未来を手に入れるって話だったんだから。

 それにしてもこれを読んでいると、アメリカは本当に銃が市民社会にまで浸透しているんだな、ということに驚かされます。だってこれが日本だったら、夏の花火大会でスイッチ切られるぐらいで、他のシーンではすんなり受け入れられそうだもんな、「トリガー」。

 とても面白く読める小説だと思います。推奨。
2002.1.29.
grade [ A ][ A ]

 
煙か土か食い物    舞城王太郎
講談社
ISBN 4-06-182172-5 C0293 \1000E
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 こいつはすごい、びっくりした。これをミステリと呼ぶんだったら俺はミステリってのを誤解してたよ。ドライブ感のある文体、緻密な構成、破綻寸前だけどハートフルでもある世界観、書き割りみたいだけれど魅力的な登場人物たち。これは上質な「物語」ってやつなんじゃないのか。冗談みたいだが爽快だ。凄いね。


 ストーリィを要約して紹介しようとして二秒で諦めた。代わりに裏表紙から。引用。


アメリカ/サンディエゴ/俺の働くERに凶報が届く。連続主婦殴打生き埋め事件。被害者は俺のおふくろ。
ヘイヘイヘイ、復讐は俺に任せろマザファッカー!

腕利きの救命外科医・奈津川四郎が故郷・福井の地に降り立った瞬間、血と暴力の神話が渦巻く凄絶な血族物語が幕を開ける。
前人未到のミステリーノワールを圧倒的文圧で描ききった新世紀初のメフィスト賞/第19回受賞作。

「密室?暗号?名探偵?くだらん、くたばれ!」

 ブラヴォー! 一流の仕事!

追記。
 あと、この一節がとても気に入ったので(なぜなら作者はこんなふうな手つきでこの物語を書いたと思うからだ)引用しておく。主人公が、兄の売れない小説家・三郎に向かって説教を垂れるちょっとしたシーン。

「違う。三郎、おめえは自分のことを小説に書けや。おめえの小説がリアルじゃねえのはおめえが自分のこと書いてねえからや。小説読んでてもおめえがどんな奴なんか判らんからや。おめえは人のことばっかり書いてるであんのや。自分のこと書け自分のこと。文章のテクニックで到達できるのなんて文学賞とかベストセラーぐれえやぞ。人の心本当に掴もうと思うたら自分のことリアルに書くんや。自分の大事なもん惜し気もなく切り売りしてしまうんや。血とか汗とか魂の切れ端とか、文章になすりつけてまうんや」
(p285)
 こういう書き方がどうこうって言うんじゃなくて、作者のニオイがびしびしする一冊なのがいいかんじに。推奨。


追記の追記。SAI2COさん、お薦めしてくれてありがとう!面白かったよ!
2002.1.8.
grade [ A ]